ユルクネ。

*20代で渡米。30代になってから妊活、不妊治療。二児の母となり、アメリカで育児(自)中です。*

大人の友達関係

人生も後半戦になると、友達関係も当然ながら変わってくるものです。学生時代の友達とは、長いこと会ってなくても、すぐ昔のように楽しい時間を過ごせる。。。っていうのは本当だとずっと思っていたけど、人生のステージが変わっていくたびにそれぞれ少しずつ離れたところに行き、感じること、ものの考え方、価値観、少しずつ少しずつ変わっていき乖離していく。これは学生時代の古い友人に限らず、最近できた友達でも同じで、自分が変わるごとに(そして当然相手も変わるごとに)離れていったり、距離が縮まったりするのは当然のこと。

学生時代の友達とは、卒業してしばらくみんなバラバラになった時期があったけれど、一時帰国のたびに必ず会うことにしていて、お互い結婚して子供が生まれて。。。くらいまでは、学生のころと大して変わらない感覚で付き合うことができていました(個人的主観的感想)。しかし、子供が学齢期になり、親が後期高齢者に足を踏み入れ、それぞれの生活が固まってきた今、積もり積もっていただろう小さな変化が違和感を感じるほど大きくなっていた。子育てなどに関する考え方の違いが幾多の決断・行動となって歴然とするし、親の介護問題があるのとないのとでは見える世界が全く違ってくるだろうし、中年になって自分自身のそれなりに深刻な健康問題が出てきたりしたらなおさら。生死を考えさせられるような問題を抱えていたら、人生観が変わり、それに伴い価値観が大きく変化するのは想像にかたくない。

コロナ禍で一時帰国がままならず、何年ぶりかで帰った昨年、友人たちとの関係性が変わったことをすごく意識させられました。限られた親しい友人としか会う時間が取れなかったけれど、その親しい友人とすら、話していて感じる違和感が大きかった。もちろん楽しいんですよ。大学時代に戻ったみたいにキャピキャピ女子会チックな話ができたりね。でも、みんなそれぞれ違うステージにいて、老いていく親のケアや、自分自身や家族の健康問題、かと思えば子供の中学受験とか、全く違う価値観で異なる世界に生きているんだなということが明らかだった。友達が目下気にかけていることが自分の生活には全く存在しないーーそして逆も然り。まあ、何年ぶりかで会って、ほんの数時間一緒に食事をするという席では、そうそう重ーい話を出すでもなく、軽い話題に終始することになるものかもしれないけれど。みんな大人だからね。

しかし、そういう軽い話題だったら、アメリカで仲良くしているママ友とかの方が共通の話題も多く、居心地がよくなってしまっていた。中年になっても若く美しく!とか、中学受験対策の詳細、とか、多少なら聞いていてへ〜と思うことあるけど。。。私、今メイクすらしない人大半の国で暮らしてるし(汗。中学受験のための塾通いとか子供と親のメンタル面でのストレス、とか、私それやりたくないやつ。。。もちろんアメリカでもそれに類するものはあって、必死で子供の勉強のサポートに回っている親御さんたくさんいます。でも、私、それからも距離を取りたくて、同じ違和感をアメリカの友達からも感じて距離ができたりしているくらい。

ごく少数の「親友」と呼べるような友達とする重くて時にダークな話、自分の本音、普段考えていること、そういう話はある程度頻繁にやり取りしているからこそできるものなのかもしれません。たまにしか会わない友達におっもーい話、振らないものね。そういえば、子供が小さかった頃、友達家族が数日実家に泊まりに来てくれて、長い時間をいっしょに過ごしたりしていた時は、そういう話をする機会もたくさんあった。その友達も、家族のサポートや健康問題などあって、そういうことをしてもいられなくなった。まあ、子供たちも大きくなって、親の都合だけでは動けないしね。

しかししかし、そんなことを考えていたら、50、60、70代の先輩からの知見に触れる機会が。曰く、人生の選択によって道があちこちに分岐して行き、それぞれの生き方がことに多様な女性は、いわゆる「現役」でキャリアに邁進していたり、子育てしていたり、っていう時期には話が合わなかったり、疎遠になったり、ということがままある。住み分けというかね。でも、そうした「役割」を卒業して「個人」に戻ったら、またみんなただの女性、一個人に戻って、仲良くなるんだよ〜と。そうかもしれない。結婚してても夫と死別したり(まあ離婚てことも)、出産してても子供は巣立つし、バリバリ働いていても引退して、最後はみんな一緒だものね。そんな話を聞いていたら、あ、今はこういうフェーズにあるけど、それも変わっていくことは確かだなと思えて、何だか希望が湧いてきたのでした。