ユルクネ。

*20代で渡米。30代になってから妊活、不妊治療。二児の母となり、アメリカで育児(自)中です。*

海外生活における自立のための必須条件

超私的には、(1)車の運転ができる(2)最低限の語学力がある(3)自分のお金がある、なのかなと思い至りました。なぜなら、今その全てを失った環境にいるから(泣)。これらができないとこんなにも無力感に襲われ、フラストレーションがたまるのかと。自分の意向で行動できない、決断できない、全ては夫頼みなのでものすごく制約があると感じます。今、ヨーロッパの片田舎にいるのですが、せっかく借りた車もマニュアルなので運転できない(若かりし頃、マニュアルで免許取ったものの、運転歴はアメリカに来てからオートマのみ)。そうすると、食料品の買い出しにも行けず、子どもを公園に連れていくこともできない。今は休暇中なので通勤通学はないものの、一日家に引きこもっていることに。がんばって歩いて行ける距離のお店に行くとしても、挨拶して、商品を指差して「これください」はできても、その後向こうから何かきかれたら対応できない。いや、まあ、こっちが「ごめんなさい、〇〇語はできません」て言えばまあそれなりにことは進むと思うけれど、その場の気まずさとか、不甲斐なさとかが嫌なんだろうなと。プライド捨てろって話ですかね。「英語ならできるのに…!」という悔しさが捨てきれない。そして、現地通貨を持っているのは夫だけなので、やっぱり買い物には夫に来てもらうか、いちいち説明してお金を引き出してもらうことに。町中のショッピングモールとかスーパーならアメリカのクレジットカードも使えるけど、近所の八百屋さんとかパン屋さんとかは無理だし、毎週開催される市場なんて現金オンリー。ぐぬぬ。

たぶん、ストレスなのは行動に関する決断をするのに全てが夫の意向次第になってしまうこと。「買い物に行こう」と言っても、夫がめんどくさいとか今は行きたくないから後で、とかいうと、食事の支度の都合があるから今行きたくてもそのスケジュールを変えざるを得ない。これがアメリカなら「買い物に行ってくる」で自分で車を出せば済む。子どもが暇しててケンカばかりなのでどこかに連れて行こう、とかいう場合も同じ。自分で動けるなら「私は子ども連れてXX行くけど、一緒に来る?」と言える。「〇〇買いたいからお金ちょうだい」とかいうのも同じで、「〇〇?いらないよ」とか「今度スーパー行くからその時に」とか言われてしまうのが嫌。目の前にお店があるならその場でサクッと買いたい私(思いつきで買う必需品でないものは、その場で買わないと買わずに終わるのは経験から知っている)。自分で決めて自分で行動するという自由さが欲しい…!

今はたまたまひと月ほどの休暇でヨーロッパに来てるので、夫に任せればいいか、と何もせずに来てしまった私ですが…こういうことがストレスになるなら、車はオートマを借りるとか、ある程度の現地通貨をキャッシュで事前に入手しておくとか、現地言語を勉強するとか、手を打てばいいのかも。しかし、車はそもそもマニュアルしかなかったり。そして割高なオートマがあっても、こちらの道路標識や交通ルールがわからない状況で運転できるのか…甚だ疑問なところではあります。お金を持っていても、やっぱり言語が多少できないとお金を使えなさそうだし。こうして整理してみると、ちょとした工夫で(1)と(3)は対応できそうだから、(2)の語学学習に取り組めばフラストレーションはかなり解消されそう。しかし、ここから新たな外国語をマスターするのは…うん、控えめに言ってもながーい険しい道のりだな。生涯学習ということでもう一つくらい外国語勉強してみようかなーとも思った今年の休暇でした。

 

 

「ママ友は本当の友だちじゃない」のか?

ママ友=非友達説のゆえんは、よくイメージされる当たり障りのない会話、そして子どもを通してできた知人で、自分で選んでない、ある程度うまくやっていかなければならない相手、と言う認識があるからかなと思います。確かにそれなら友達というよりは知り合いって言う方が近いのかも。子どもの学校や習い事の送り迎えなどで、スケジュールも合致するので、自然顔を合わせる機会は多くなるし、学校の宿題や習い事の話に加え、子育てという目下の懸念事項が同じなので、まあ話のネタもある。正直、独身だったり子なし夫婦の友達に、自分の頭を占めている子ども関連の瑣末な悩みとか考え事を全て話そうとは思えないし(相手は関心ないだろうから申し訳ない)、こういう話が同じ現場感を持ってできる相手は必要だと思う(特に乳幼児期)。しかし、それがあまりに「情報交換」と言う感じになって、相手への配慮もそこそこに情報を引き出そうという意図が垣間見えたりすると引いてしまう。あとは、子どもが仲がいいから、と言う理由だけでその親とも付き合ってると、好感を持っているわけでもない、気が合うわけでもない相手とプレイデートしたり家族ぐるみで付き合ったりすることになってしまったりして、それはまあ楽しくないだろうし友達とは思えないんだろうなと思います。

私は、子どもが保育園という社会生活に参加するようになって、その初期こそ、子どもが大好きなお友達の親とつき合うようにしていたものの、あるきっかけがあって以降、自分が好きな人(ママ)と子どもなしでつき合おう!と思うようになりました。その場合、子どもも仲良ければそれに越したことはないけれど、残念ながらいつもそううまくはいかない。そういう「ママ友」と出会うきっかけはやはり子どもの活動なので、そう言うところでする世間話や当たり障りのない会話から、この人は❤︎と思った人とは少し距離を縮める努力をする。ちょっとしたことでLINEやテキストをやりとりしたり。相手も同じように思ってくれていれば、子どもが学校に行っている間、とか空いている時間は同じタイミングだったりするので、その間にランチなりお茶なりしたり。そうして一旦仲良くなれば、週末に子どもをそれぞれ夫に預け、一緒にお酒を飲みに行ったり(しかしここまで至るのはレア)。夫と子どもが大丈夫そうなら、まあたまにはお互いの家に行き来したり。

しかし、これらは全て相性と縁なので、そういう人になかなか出会えないかもしれない。出会えたと思ってつきあっていても、なんとなく、お互いのスケジュールや事情が変わって疎遠になったり。残念だけど、仕方ない。移り変わっていく関係なんだと思って、自分の人生のステージが変わるごとに、軽やかにまた新たな関係を築けるようになっていきたいものです。

たとえば、私の場合、ある問題なり悩みなりに対するその人のアプローチが好感の持てるものだったりすると、仲良くなりたいとか、それこそ「友達」になりたいと思ったりします。子どもの教育に関することとか、昔つきあいのあったママさんたちは(今の私から見ると)ものすごいエリート志向。日本にいたら確実に中学受験してるのでは(日本の状況がよくわからないのでイメージですが)。はじめこそ、そういうママさんに囲まれていたので、うちもそうするべきなのかな…??と、違和感がありつつもそちらに傾いていた私。でも、違和感はどんどん大きくなり、子どもの成長と共に我が家の方針が定まってきて、自然、その時のママ友さんたちと離れていきました。意図的にというよりは、お互い色々変化があり、本当に気がついたら連絡を取らなくなっていたという感じ。引っ越したりもしたので、今、仲良くしているママ友は、家が近所とか、子どもの学校が同じとか、やっぱりその時々でつき合いやすい相手になるものなんだなーと。

それでも、「ママ」である「友だち」はいた方がいいと今は思います。必要かってきかれれば「必要」ではないけど、「いたらいい」。だって、どちらにしても子どもの学校や課外活動はやることになるわけだし、だったらそこで顔を合わせて(たとえそれが軽ーい世間話でも)楽しく話ができる相手がいた方が「私は」楽だから。深くつき合う「必要」はないから、踏み込まないで浅い良好な関係を保っておけばいいし、仲良くなれそうな相手がいればそれはラッキー。いなければ、浅いつきあいでもいいし、そういうところから自然と流れ込んでくる情報もあるとよし。ちょっとした時にテキストやLINEで連絡が取れる子どもの友達の親がいるのは率直に言って便利なものです。ただそれがあまりに実務的効用のための、気に染まぬ相手とのつきあいになると心がざわつくので、ごく少数でいいかなと。

自分は、内向的で少数の人との深い関係を好むタイプだからこういう結論ですが、会ったその日に既に連絡先を交換し、100人くらいと繋がってるんじゃないかという印象の外向的な人だったら、また違うのかもしれません。自分を知り、自分に合った関係を見極めるのが大切なんだな、と。ここに至るまでに、えーと、私は10年弱かかりました(汗)自分には何が幸せで、そのためには何が必要なのか、って知ることが大事。妊活・出産・乳幼児の子育てでずーっとワタワタしていて、かなり時間がかかってしまいましたが、気づけてよかったなーと今は思います。

ミドル世代の課題が存在感を増してきた…!(健康編ー対策)

増していく中年の健康課題に対応するため、日々の習慣としてやっていること。

  • 睡眠時間を最低7時間確保。できれば8時間。
  • 週2〜3回、5〜7キロほどゆるいジョギング(体調崩してからお休み中だけど)
  • 夜寝る前のストレッチ

色々読んでいると、やっぱり睡眠は神。昔はせいぜい6時間睡眠だったけれど、睡眠中に脳内で記憶と情報の整理、デフラグが行われる、とか、認知症の予防にもなる、とか、睡眠を削って活動しても生産性は上がらず、結局効率が悪い、などなど知るにつけ、もう少し寝よう、と思うように。そして、40代になってからというもの、仕事帰りの車の運転が危うくなってきた。高速を走ってる時とか単調な運転中眠くなってしまう。信号待ちの束の間、目を閉じたくなったり。これはヤバい、命に関わる、と思ってもう少し寝なくちゃと思うように。

走るのもストレッチも、コロナ禍で始めた習慣。で、習慣になってみると、爽快感とか寝る前のリラックスした気分とかの報酬があるのでやりたくなって続ける。自分、カラダにいいことしてるぞー!という自己満足感も助けに。

上記に加えて、医療系。

  • 毎年の婦人科検診(血液検査も)、マンモグラフィー、眼科検診、今年からは緑内障早期発見のための検診もプラス、半年に一回の歯のクリーニング
  • 一時帰国時に人間ドック、今年からは脳ドックも
  • 今年は大腸癌のスクリーニング
  • 骨盤底筋群を鍛えるためのフィジカルセラピー

これらはコロナ中すっかり疎かになっていたので(日々をやり過ごすので精一杯、子供の検診も感染が怖かった)、自分のケアに気をまわせるようになったのはつい最近。それでも、それなりに色々やってるつもりだったので、色々問題が出てきて悲しい(泣)。根拠のない自信を打ち砕かれました。今後、ここの項目は増えていきそうな予感。

そして、これからやっていきたいこと。

  • 年をとってからも続けられそうなエクササイズを探す(いつまで走れるのかわからない。そして走るのって骨盤底筋群にはやや負担が大きいらしい)
  • お酒を飲む頻度と飲酒量を減らす(夫婦の共通の楽しみでもあるので悲しいけれど、経度の脂肪肝と言われてしまったからね。。。)

そしてそして、鏡を見てガックリしない程度の美容は健康の一部だと思うので、

  • 時折メイク方法を変えたり、新しいコスメを試してみたり
  • 一日家にいるときも、トーンアップ&UV効果のある下地を塗り、リップクリームは補正効果のあるものを使う、と、結構いい感じにまとまる
  • シートマスク、できれば朝晩ともに
  • 髪をきちんと乾かして寝る。夜ブロー、朝もちゃんとセットする。
  • 小まめに美容院に通い、プロの手を借りてヘアケア。理想的には2ヶ月に1度はカット、3〜4ヶ月に1度カラー(顔周りの白髪を見るとダメージが大きい→かなり明るめのハイライト。これ始めてからいい感じ)。
  • 週1回、頭皮ケアシャンプーを使って洗髪(これをするとサラサラ感が全然違う!)。

課題が山積みですが、現実を受け入れ、毎年少しずつ微調整しながらセルフケアに励もうと思います。家族を含めた他人の心配より、まず自分のこと。まずセルフケア。元気でないと、家族の面倒を見ることはおろか、日々を家族と楽しく過ごすことすらできない。そういうのをわがままとか自己中とか思ってしまいがちでしたが、いやいや、これからもますます自己中に生きていこうと思います。

ミドル世代の課題が存在感を増してきた…!(健康編)

中年の課題、ひとつは、衰えを見せ始めた自分の健康。これは美容とか心身の健康とかすべて。同級生との女子トークに「シミ取り」だの「糸リフト」だの「ハイフ」だのが入ってきたのはこの1、2年。一時帰国中は東京のキレイな女性たちに刺激され、美容熱が一時的に爆上がりするので余計かもしれない。しかし、生活基盤はアメリカにあるため、定期的に通わなければならないような施術には結局手が伸びず、一度すれば効果が生涯持続するものに目が向く私。なので、ここ数年は帰るたびにちょこちょことクリニックに通い、全身脱毛。たぶんアメリカでもできるんだろうけれど、東京でできる施術の安心感、アクセスの手軽さ、オールインワンなメニュー(VIOも顔もぜーんぶ含まれている!)、そして昨今の円安、で、日本帰ったらやろう♪となる。手軽で現実的に効果の高い美容系の施術といえば、眉のアートメイクもやってよかった。オンライン業務の増えたポストコロナの現在、とりあえず眉が整っていると、スキンケア+すっぴんでも、いいカメラを使ってミーティングに出るとまあそこそこまともに見える(気がしてる)。時間にゆとりがあれば多少の身繕いもするけれど、あと1分でカメラをオンにしなくては!っていう時に大助かり。在宅勤務で外に出るのは子供の送り迎えだけ、とかならメイクしなくてもあまり気にならなくなった(いいのか悪いのか…)。

ずっと健康優良児だったので、自身の健康にはかなり自信があったのだけれど、色々とガタが出てきたのもここ最近。先日、何の前触れもなく帯状疱疹に。特にストレスを感じていたわけでもなく、疲れていたとかいうのでもない。むしろ、かなりストレスフリーな生活を送っているし、睡眠は毎日7〜8時間、週2〜3日は運動してる…それなのにナゼ?? 最初は発疹が出なかったので帯状疱疹とわからず、症状は悪化するばかり、謎の病気にかなり気弱になり、死を意識するまでに(笑えます)。まあ、お陰様であまり重症ではなく、ちゃんと正しい薬を服用し始めたらみるみる快方に向かい、後遺症も出ることなくて幸いでしたが。…と、思ったのも束の間、一時帰国時に人間ドックをしてみたら結果表にあちこちCが(涙)。数年前から出ていた箇所に加え、新しい項目も加わってしまい、「こ、こんなはずでは!」の嵐。しかも、今回はものは試しにとつけた脳ドックでまさかのDが付いてしまい、再検査しなければならない。脳ドックなんて、もちろん何も問題ないだろうけど、確認のためにAもらっとこ〜くらいの気持ちだったのに(号泣)。あ、それから甲状腺も腫れてるからしっかり検査した方がいいって言われたんだった。これは母が私くらいの年に患ったところなのである意味想定内。しかしここにもCを付けられたのは初めて。ひーん(泣)

折しも、後期高齢者に入る両親の衰えぶりを目の当たりにしたところだったので、ああ、老いとか健康状態の衰えというのは年齢と共に誰にでも訪れるものなんだなと当たり前のことを実感した次第。そう、私はどこか自分は特別と思っていたというか、健康上の不安とか問題は他人事だと思っていたのでした。今思えば、それは若者のおごりだった…。年齢とともに減少してく「健康」という自分の資産を、うまくマネジメントして(日々のセルフケア及び予防医療)、なるべくその下降線をなだらかにしていくことを目指さなくてはいけないんだなと、やっと自分ごととして悟った次第です(遅い!)。

人生を変えた留学、と英語のこと

英語の「お勉強」は昔から好きでした。高校まで得意科目だったので、なんとなく大学でも英語の専攻を選択。が、典型的お勉強英語だったので、全然話せなかった。大学生のときに初めて短期留学でアメリカに行って、あまりのできなさに愕然。同じ大学から行った同級生で、ちゃんと会話できている子もいたので、勉強の仕方を変えなくちゃいけないんだろうなとは感じました。しかし、普通に日本で暮らしていると英語を使う機会ってない。。。と思ってました。その後、院に進み、今度は一年間留学することに。ここでも全然話せないし聴解もできない(泣。友達もできないし。。。って思ってたんですが、まあこれは元々の性格が超人見知りなので、英語の問題だけではなかったんだろうと今は思います。まあそれでも、一年いたので、少数ながら英語でコミュニケーションを取る友人ができ、毎日必死で授業についていくため勉強して、多少は英語力上がりました。しかし、挫折感が強かったので、当時はあまり自信がなかった。むしろ、院まで勉強を続けて、留学までしているというのに、「英語できます」と自信をもって言えない自分が恥ずかしかった。

しかし。一年間の留学後は、長期休みに飛行機に乗って海外の友達を訪ねていくという、これまでとはちょっと違う生活に。一人で飛行機に乗って海外に行くのはもちろん不安だったのですが、やってみると。。。あれ? 私大丈夫だわ。だって空港や機内の案内読めるし。迷子になってもその辺の人に英語で聞けるし。会話はやっぱり苦手だけど、「x番出口はこっちですか」くらいの質問ならさすがに大丈夫。イミグレの質問とかも、まあ色々別の意味で緊張するけど、短期で友人を訪ねるくらいのことなら話せる。一人で飛行機に乗るのはもうやったことあるし、キャビンアテンダントとの会話なんて超ミニマムな上、相手は外国人の扱いに慣れている。乗り継ぎするのにも、案内に従って正しい搭乗口にたどり着く、くらいのことなら可能。むしろ、ドイツ語とかフランス語とかはわからないので、英語でも書いてくれてありがとう!って気分になります。レベル低いですが、海外一人旅をするにあたって、この自信が感じられたことが大きかった。どこにでも行けるという自信と希望。海外に出るということが現実的な可能性として感じられました。高揚感と、希望に満ちた未来がもたらしてくれるある種の全能感は今でもよく覚えている。

全能感って大袈裟ですが、ずっと自分の英語力に自信がなかった自分にとってはそういう言葉がぴったり。あれがあったから海外に出よう、自分もできると思えたのかなと。暮らす、とか働く、とかは別次元なのですが、とりあえず、右も左もわからないわけではない。最低限の英語はできる、と思えた。長年英語を勉強して来たのに、全然使えない。。。と思い続けていたけれど、大丈夫、できる!と初めて思えたのでした。私は慎重派な上、リスクは極力避けるタイプだったので、何年も勉強して留学までしてやっとその瞬間にたどり着きましたが、やってみて、できるという手応えを感じ、それを積み上げていく、というよく言われるプロセスなんだと思います。

そして、留学すると、一気に世界各地とゆるいつながりができるのが何気に大きい。留学期間が終わっても、そこで出会った人たち(特に留学生)を訪ねて世界中色々なところを訪ねて行ったりすることに。なんのアテもない異国を旅行者として回るのはなかなかハードル高いですが、そこに友達がいれば、とりあえず空港までたどり着けばいいわけだし。その国の観光名所を回るだけでなく、ローカルな友達がいるならもっと生活に根ざした滞在ができるかもしれない。

超人見知り&英語も話すの苦手な自分は、留学しても、友達何十人も作って異文化交流!というわけにはもちろん行きませんでしたが、あれ以降確実に、見える世界も、自分がアクセスを持っている世界も一変した。私は「お勉強」が割と好きで、「留学して学位を取る」という方法しか思いつかなかったけれど、他の何がしかの形で海外に住んでみると、色々見えると思う。ここしかないと思って住んでいたところの他にもいろいろな世界があり、ちょっとジャンプしてみたらそちら側にも行ける!ということがわかる。またぴょんと跳んでみて、違うところにも行けるし、なんか違うなと思ったら戻ることもできる。自分はそうやって跳べるんだということを学んだカエルのような気分。跳べる脚があるなら使ってみたらいいと思うのです。